太宰治ゆかりの跨線橋、役目を終える
太宰治が跨線橋の手すりにもたれつつ遠くを見やる写真の撮影場所として知られる三鷹市のJR人道跨線橋。
昭和4年の建設以来、長らく地域住民の往来のため使われていましたが、このほど老朽化により解体されることになりました。
解体目前の今日、三鷹市さんからのご案内で現地を訪問させていただきました。
三鷹市さんはなんとマント(二重まわし)を用意していてくれて、図らずも太宰治に成り切ることに。(おかげ様で防寒になりました)
太宰治が跨線橋で何を思ったのか。
きっとふるさと青森を思っていたに違いありません。
ここから見る富士山と金木から見る岩木山はどことなく似ているように思えます。
そういうこともあって太宰治は好んでここを散歩していたのでしょう。
また跨線橋は鉄道遺産としても価値あるものだと説明を受けました。
古くは1911年製のレールが部材として使われており、それは国産・米国産など様々です。レール自体が丈夫な上にコンクリートも壊れにくい配合にしてあるとか。これらの工夫で構造的にも頑丈であることが解体前の調査で明らかになったそうです。
役目を終えるのは寂しいですが、せめて私の中に太宰治とともに留めておきたいと思います。
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