法務副大臣活動記ーポーランド訪問
ウクライナ避難民についての調査を目的としたポーランド訪問の模様をアップします。
ウクライナ国民に対しポーランド国民は我がこととして何らかの支援に関わっています。
避難民に対して、我が家を提供したり衣服・食糧・薬・衛生用品を寄付したり国境から避難民受け入れ施設までマイカーで送迎したり、まさに国あげて支援しています。
それはワルシャワの中心部至るところにウクライナ国旗とワルシャワ市旗が掲げられていることに象徴されます。
なぜポーランド国民はそれほど親身になって支援しているのか。
それは第二次世界大戦の末期1944年に起きたワルシャワ蜂起の記憶が活きているからです。
ワルシャワ蜂起は、ナチスドイツ占領下のワルシャワで起きたワルシャワ市民による武装蜂起です。
当時、ナチスドイツに対し、ソ連軍が反撃しワルシャワを目前にしていました。ワルシャワ市民は、武装蜂起を呼びかけるソ連側のラジオ放送を聞き、蜂起の暁にはソ連が必ず支援してくれると確信し、ナチスドイツに対し蜂起したのです。
一時、蜂起軍はナチスドイツ占領地を一部奪還しますが、次第にナチスドイツの反撃により劣勢に立たされます。
蜂起軍の頼みの綱はソ連軍の援軍です。
しかし、ソ連軍は動かなかった。
一説には政治的に反ソであった蜂起軍の殲滅をソ連は密かに目論んでいたとも言われています。
蜂起軍は結果孤立し、地下水道を伝って再結集し反撃しますが、遂にナチスドイツに撃破されます。
英米側はなすすべもありませんでした。
このため、多数の市民が命を失うことになりました。
この歴史は現在も蜂起博物館で記録・展示され子どもたちに伝えられています。
そういうポーランド国民ですから、当然のようにウクライナ国民を支援するのです。
ウクライナは、東日本大震災の際に多くの支援をしてくださいました。私は、今、ウクライナを支援することは震災の支援の恩返しだと思っています。
共感と連帯、きっかけは様々でも同じ気持ちをウクライナ避難民に対し持ち続けたいと思います。









