追悼 安倍晋三元総理・総裁
凶弾に命を奪われた安倍晋三元総理・総裁の通夜が昨日東京芝増上寺にて営まれ、参列してまいりました。
通夜会場には、安倍晋三元総理・総裁が自らピアノで「花は咲く」を弾かれ、昭恵夫人が唱和している映像と音声が流され、仲睦まじいお姿に涙が出ました。
そして今日は、家族葬による告別式が営まれ、ご遺体を乗せた車列が国会議事堂・首相官邸・自民党本部の前を通過し、官邸前にてお見送り申し上げました。
この数日、悲しみ・憤りとともに喪失感にも覆われていますが、改めて現実を突きつけられ深い悲しみと憤りを覚えています。
仏教では、定命と言って、人にはそれぞれこの世に生まれる前に定められた寿命があると言われます。
だとしても、67歳で逝去とはあまりに若く不条理であり、あのような形で命を絶たれるとはあまりに理不尽であります。
喪失感もより強くなっています。
それだけ安倍元総理・総裁の存在が大きかったのだなと思います。
明るく芯がしっかりして闇に光を届けるいわば太陽のような存在だったのです。
しかし、いつまでも悲嘆にくれているわけにもまいりません。時代は刻々と動いています。
誰よりも悲嘆にくれているのは、昭恵夫人はじめご遺族であり、私たちは陰に陽にお支えをする立場でもあります。
この悲しみを乗り越えていかねばなりません。
残念ながら人には定命があるという。
いつかは誰にも死が必ず訪れるものなのだ、それが過酷な普遍の真実なのです。
それが理不尽・不条理なものだとしてもです。
そして、考えてみれば現代は東日本大震災などの災害、ウクライナでの戦争など実は私たちは死に多く直面しています。
このような時に私たちはどういう心持ちで生きていくべきなのでしょうか。
私は死生観というものを持たねばならぬのではないかと思っています。
死と表裏一体の生。
私たちは生きているのではなく生かされている。
生かされているからこそ、生を全うする、1日1日を大切にする、その中で家族・隣人・ふるさと・国を愛する気持ちを大切にする、こうしたことがまさに美しい国日本の礎であり日本人が持ち続けるべき心持ちだと思います。
安倍晋三元総理・総裁はそういう思いを遺したのだ、そう思った時に私はそういう心持ちであり続け、そういう国づくり人づくりに邁進していかねばならないと強く決意し、前を向いて歩んでまいります。
安倍晋三元総理・総裁にいただいたご厚情に深く感謝申し上げ、強く心にとどめます。
私の心に生き続けてくださるように。
安倍晋三元総理・総裁、ありがとうございました。
安らかにお眠りください。合掌。